尾崎放哉1885–1926
おざき・ほうさい | 「咳をしても一人」。孤独を見つめた自由律俳人
小伝
鳥取市に生まれる。東京帝国大学法学部を卒業し、東洋生命保険に入社してエリートの道を歩んだが、酒癖から職を転々とし、ついに家庭も地位もすべてを捨てた。寺男として京都・須磨・小浜を渡り歩き、最後は小豆島の南郷庵にたどり着く。大正十五年、四十一歳で庵に没した。
放哉の句は極限まで短い。「咳をしても一人」「こんなよい月を一人で見て寝る」——季語や五七五という以前に、言葉そのものが最小限である。すべてを失った人間の眼にだけ見える静けさと可笑しみが、短い言葉の中に閉じ込められている。同じ自由律でも、歩き続けた山頭火に対し、放哉は庵にとどまって自分の内側を見つめた。「動の山頭火、静の放哉」と並び称される所以である。
代表句
咳をしても一人
こんなよい月を一人で見て寝る
障子あけて置く 海も暮れ切る
春の山のうしろから 烟が出だした
一つ二つ螢見てたづぬる家
あすは元日が来る仏とわたくし
池を干す水たまりとなれる寒月
大木にかくれて雪の地蔵かな
行く秋を人なつかしむ灯哉
別れ来て淋しさに折る野菊かな
HitchHaiku で読む・倣う
放哉の句は、一人の時間の深さを教えてくれる。HitchHaiku の「届いた便り」で放哉の句が届いた夜は、静かに月を見てから寝てほしい。